ネットで評判が良く、以前から気になっていた『観察の練習』(菅俊一 著)をようやく購入。きっかけをくれた楽天市場の買い回りセール、ありがとう……。

 身の回りのなにげない光景から「小さな違和感」を探し出す、ワークショップのような体験ができる本。
 まず、著者が撮った写真を見て、そこに写っている「違和感」とは何なのかを自分なりに探してみる。そしてページをめくると、答え合わせのように考察が書かれている。
 もちろん「こう感じなければならない」という唯一の答えがあるわけではないので、読者である自分と著者の着眼点や考えは、重なることもあれば異なることもある。
 ページをめくるたびに「観察」を繰り返すことになるので、なかなか頭を使う。まさに観察の練習だ。

 おそらく著者の狙いとは別のところで「すごいなあ」と思ったのは、「“それ”を著者自身がわざわざ写真に撮って記録している」ことだった。この本に載っている写真というのは、一例を挙げると「路上の鉢植えに水が蒔かれた結果、道路にできた水溜まりの軌跡」だったり「自販機のディスプレイの一部分」だったり「文房具売り場の試し書き用の細長い紙」だったりと、1000人中998人は視界に入っても撮らないであろう写真ばかりなのだ。

 僕自身、一見なんでもないものが目に留まる経験が時々ある。たとえば電車の吊り広告のレイアウト、マンホールのデザイン、歩道に埋め込まれた石の並び、道端に停められた自転車の佇まい。
 なんでもない日常の中にも、ふと美しさや面白さを見出せることがあるものだ。本書を読んで目から鱗が落ちる人もいるだろうけど、個人的には驚きよりも共感しながら読んでいる(たいへんに僭越ですが……)。話が通じる友人から「これ、面白くないですか?」と写真を見せられて、それについて語り合っているような感覚がある。

 ただ、そういうものを観察はすれども、写真に撮るのは恥ずかしい。写真を趣味にしているくせに、「この人、何を撮ってるんだろう?」という目で見られるのは恥ずかしくて苦手だ。自意識が邪魔をして、一瞬なにかを見出したのに撮らずに通り過ぎたシーンは数え切れない。
 だから「こんな細かいところに着目するなんて、すごい」というよりも、むしろ「これを写真に撮れるのがすごいなあ」と思ってしまった。

 著者の菅氏は多摩美で講師を務める方なので、職業上その写真が必要だから撮っているに違いない。なので僕みたいに「撮れたら撮りたいけど変な目で見られたら恥ずかしい……」なんて思うわけがないのだけど。
 でも、周りの目、全く気にならないのかなあ? それともやっぱり躊躇や逡巡が混じることもあるのかな?